攻城記

中山城
 
別  名・・・河合城

主な城主・・河合氏

概 要・・・川相小学校裏にある中山城は文明一一(一四七〇)年河合豊前守行重が築いたと伝えられています。
本丸部分は17m×53mの長方形で三段築城。
東西に空壕跡があり中腹には五輪塔も多数残っています。
本丸に祠られた稲荷大明神は築城の際に河合行重が勧請したと言われ、またふもとにある天満宮も行重によって延徳元(一四八九)年に建立されたと伝えられます。
戦国時代、河合氏は吉井の正霊山城主・藤井氏と婚姻関係を結ぶなどして勢力をのばしていましたが、三代城主・河合重元の頃には毛利氏の麾下に入って活躍をしました。
天正九(一五八一)年、備前八浜での宇喜田直家軍との戦いにも参戦し軍功があったと言われます。

※現地説明看板より

岡山県井原市芳井町へとやってきました
川相小学校の裏山、ここが中山城です