残っていた木柱
地盤を補強する目的の可能性があるとの事です

溝の部分や堀には石炭灰が詰まっていたそうです
これは近所の紡績工場から出たものの可能性があるとの事です

奥の石垣は大正・昭和期に詰まれたものとの事
水を排水する水路にしていた可能性があるそうです

埋めるのに使われていた石炭灰の中から出土した瓦
遺構とは関係ないそうです

同じく石炭灰から出たもの
碍子や紡績会社の名が入ったものがあります

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この部分は地下送迎場工事の為に破壊されてしまうそうです
と言うかこのお隣のビルの場所が大手門です
その時には誰も反対しなかったのかなぁ?