攻城記

高知城
 
別  名・・・大高坂城、鷹城

主な城主・・大高坂氏、長宗我部氏、山内氏

☆国指定史跡 ☆現存十二天守閣

概 要・・・高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて南朝方に味方して戦った記録がある。
戦国時代の天正16年(1588)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城して、岡豊城(南国市)から移ったが低湿地のため水難に悩まされ、3年ほどで浦戸に移った。
期間が短く、その規模や構造は明らかではない。
現在の城郭は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功績を認められて、土佐の初代藩主となった山内一豊によって慶長6年から築城され、2年後主要部分が完成したが、全体の完成には10年を要した。
享保12年(1727)追手門など一部を残して焼失、宝暦3年(1753)元の姿に再建された。
明治6年(1873)いちはやく都市公園として整備がすすめられて廃城を免れ、追手門と本丸の全構造物を残して県立の公園として発足した。
全国に残る12の旧城の一つで、築城当時の複雑巧妙な縄張りを残す石垣、豪壮な木割りの追手門、規模は小さいながら優美な姿を誇り、南海随一の名城とうたわれた天守閣、それに付属する本丸御殿をはじめとして、本丸の全建築物が完全な姿で残されているのは、全国でも高知城だけである。
昭和9年(1934)に国宝に指定されたが、昭和23年(1950)に文化財保護法が制定されたことに伴い、現在は15棟の建造物が重要文化財に指定されている。
また、昭和34年(1959)城郭一帯が史跡に指定された。
戦後は、各建造物の解体修理に着手、追手門は昭和26年(1951)に、天守閣は同30年、その他の建造物は34年3月にそれぞれ改修竣工した。

※現地説明看板より

岡豊城に続いて高知市内へ進み高知城へとやって参りました
現存十二天守閣の一つです(*´Д`*)