外へ出て天守台を見てみます
天守台の説明看板がありました

「天主台石垣(館町)
日本一の規模を持つこの天主台は広島城の天守閣なら六つも入るという広さを持つ。
三原城が造られた一五六七年より約十年後に信長によって安土城が造られ、初めて天主台に天守閣が聳えるようになり、以後全国に流行しました。
然しこの三原城築城の時はまだ天守閣を造る思想のない時代だったと考えられます。
山城から平城に移行する時代のごく初期の城築です。
この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。
しかも余人は真似るべきではないと言われた「アブリ積み」という特殊の工法は、古式の石積形式を四百年経た今日まで立派に伝えております。
一七〇七年の大地震では、城内を役夫二万五千人を動員して修理した。
しかし破損箇所は・・・「元のごとく成りがたかりしを、伝右衛門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、遂に築きおさめければ・・・」とあるが、これは東北陵面のことと推測します。」

ふむ・・・アブリ積みというのはどのような積み方なのでしょうかね〜?
そこらへんを解説してほしいところです^^;

史跡の石碑と説明看板を発見
昭和三十二年十二月十一日に指定されたようです

見えていた工事現場は石垣を修復する工事でした
どこかとは大違いですね(爆)

天守台を堪能した後は、駅南側に残っている舟入櫓跡に来て見ました
さんざん迷いましたがなんとか到着(´Д`;)
ここも立派な石垣が残っています
堀のように水路がありますが、ここの石垣の先は海だったのですよねぇ

上に上がってみましょう
入り口付近には絵図があります

門です
これは城時代のものなのですかねぇ?