攻城記

泉山城
 
別  名・・・仙山城

主な城主・・土肥氏、宮氏、杉原氏

概 要・・・泉山城は、仙山城とも呼ばれた中世の山城です。
築城は、一説には鎌倉時代備後の守護であった土肥実平と伝えられています。
応永15(1408)年の「山内首藤家文書」には、宮氏兼が服部の地を領していたと記され、室町時代には宮氏の居城となっています。
しかし、天文3(1534)年には毛利氏に攻められて落城し、城主の宮元清は討死したとも出雲の尼子氏を頼ったともいわれています。
城跡の南方にある信光寺は、元清の兄の信光が菩提寺として建立した寺と伝えられています。
宮氏の後には杉原氏が居城しましたが、戦国時代の末(16世紀末)には毛利氏に領地を没収され、ついには廃城となったようです。
城跡は、標高154mの山頂部から放線状に延びる尾根上にかけて郭を階段状に築き、要所には堀切や竪堀を配置した堅固な城です。
南麓には「土居」の地名が残っており、ここに居館があった可能性があります。
上水道施設の建設に伴って2002年に行った発掘調査では、山頂部に2段の郭が確認されました。
上段の第1郭では、南北にのびる長さ15m、幅3.5mの土塁1箇所と柵列4箇所、下段の第2郭では、東西2.4m、南北7mの堀立柱建物などがみつかり、周辺から素焼きの土器や陶磁器、砥石、釘や飾り金具などが出土しています。
※現地説明看板より

服部大池を過ぎて服部小学校の北へ進むと正面に見えてくる山
ここが泉山城跡です
正面左側から登る事が出来ます