攻城記

正戸山城
 
別  名・・・小藤山城、勝戸山城、正渡山城

主な城主・・岩松氏、宮氏、栗原氏、高橋氏

概 要・・・南北朝時代、足利尊氏に味方した岩松頼宥が築城したとされ、後に志川滝山城の支城として整備され宮氏が居城。
1548年に神辺城合戦の際に毛利軍の攻撃を受け、宮次郎左衛門が討たれ
又、1552年には志川滝山合戦で毛利軍の攻撃を受け、宮信政が討たれたとされています。
その後は栗原信教が居城して城の改修を行ったそうです。
江戸時代になり一国一城令により廃城となりました。
昭和5年には陸軍の大演習が岡山方面から来る東軍と広島方面から来る西軍がここ正戸山南方で決戦する想定で行なわれ、昭和天皇が視察総監の為行幸したとの事です
その為に当時の両備軽便鉄道(現JR福塩線)では正戸山臨時駅を設置したとの事です
山頂にはそれを記念した石碑「御統監之跡」があります
飾りとして砲弾と魚雷があったそうですが、戦時中に徴収されてしまったそうです。

福山市北部にある小さな山・・・それが正戸山城です。
ここはネットで調べてみても名前は出ていても写真が載っているものを確認できなかったです。
もしや画像付き一番槍?と期待しつつ山を登ります(´ー`)・・・・雑念じゃのう