攻城記

高松城
 
別  名・・・玉藻城

主な城主・・生駒氏、松平氏

☆国指定史跡 ☆日本三大水城

概 要・・・高松城は別名「玉藻城」ともいい、天正15年(1587年)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が、翌16年(1588年)に工を起こし、約3年の歳月を費やし天正18年(1590年)に完成したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家、黒田孝高(如水)がしたとされる。
この高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である。昔から「讃岐さぬきは高松様の城が見えます波の上」と謡われていた。
生駒家が4代54年と、寛永19年(1642年)常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて以来明治に至るまでの、松平家11代228年の居城として、讃岐の政治、経済、文化の中心となったところである。
城跡は昭和29年1月16日に松平公益会から高松市が譲り受け、翌30年5月5日「玉藻公園」として一般市民に開放した。
また、彦根城と姉妹城縁組をしています。これは、井伊大老の次女、千代姫が第11代高松城主松平頼聰の奥方として輿入れしたことから、昭和41年8月15日に結ばれたものです。
城跡は天守閣跡や石垣、堀などが遺存し国の史跡指定となっている。
※現地説明看板より

雨の中、丸亀城に続き高松城にやって参りました。