攻城記

高杉城
 
別  名・・・杉山城、祝要害

主な城主・・祝氏

☆広島県指定史跡

概 要・・・高杉城は標高約170mに位置し、高杉の河岸段丘を利用してつくられた本丸内に神社を持つ特異な形式の平城です。
この城は別名を祝要害、杉山城ともいい、中世この地方の国人領主であった江田(広沢)氏と関係の深い知波夜比古神社の祝氏が拠ったところで、江田氏の支城です。
本城の規模は現在の神社の境内を囲む南北約70m、東西約50mの範囲には土塁があり、その外側には東・西・北の三方に堀が廻っています。
土塁は幅3〜4m、高さ1〜2mで盛土したものらしく、部分的には石積みも残っています。
堀は幅4〜5m、深さ1〜2mで幅広の箱状につくられており、底は北西から南東へわずかに傾斜し、排水が考慮されたことがうかがえます。
本城跡の築城時期や城主については明らかではありませんが、祝氏との関係から観応年間(1350〜1352)頃に構築されたものと考えられます。
尼子方の本城は天文21年(1552)に毛利氏との戦いにより攻め落とされ、祝甲斐守父子は滅ぼされています。
その後、弘治2年(1556)毛利元就、隆元父子によって本殿(市重文)が再建されています。
このように本城跡は城郭としての機能は失われても神社はすぐに復元され、元の姿は保存されていたことが推察されます。
※現地説明看板より

三次市にあります県指定史跡、高杉城跡へやってきました
風土記の丘のすぐ近所になります