攻城記

鶴丸城
 
別  名・・・鹿児島城

主な城主・・島津氏

☆鹿児島県指定史跡

概 要・・・1601年(慶長6)、関が原の合戦の後、島津家18代家久が上山城(城山)の補修と麓の居館づくりを思い立ち、父義弘の「ここは海に近すぎて危ない」という反対を押し切って着工します。
家久はこの地を政治・経済の中心地として城下町の建設を始めたのです。
まず居館を築き、その周辺に家臣の屋敷を移し、1606年(慶長11)城の前の橋が完成したとされています。
城といっても本丸、二の丸、下屋敷が並び、天守閣や層楼のない屋形づくりでした。
これは「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想によるもので、藩内の
各所には兵農一致の郷士団が守る外城がめぐらされていました。
城下は鶴丸城を中心に武家屋敷、その外側に上町6町、下町12町、そして西田町4町が設けられ、5000人余りの町人が集められましたが、圧倒的に武士の多い城下町だったようです。
維新後は、熊本鎮台の分営として使われ、1873年(明治6)炎上。
残されたのは城壁と擬宝珠つきの石橋だけとなりました。

※現地説明看板より

鹿児島県鹿児島市へ行く事になり出来た自由時間で向かった先
それは島津氏の本拠地、鶴丸城です(*´Д`*)