攻城記

鷲尾山城
 
別  名・・・釈迦が峰城

主な城主・・杉原氏、石原氏

☆広島県指定史跡

概 要・・・1336年(建武3)足利尊氏に従い九州多々良浜(博多)の戦いで戦功を立てた杉原信平、為平が木梨13ヶ村(尾道、後地、栗原、吉和、久山田、木原、猪子迫、白江、三成、市原、木梨、小原、梶山田)を賜り、木梨に鷲尾山城を築き居城とした。
以来、信平、光信、元盛、元直、光恒と続き、備後の覇者として武威を張ったが、1543年(天文12)6月雲州富田城主尼子晴久によって城は攻め落とされ、光恒は城内で自害、その子高盛は捕らえられた。
やがて、大内氏の助力を得て鷲尾山城に帰り、名を釈迦が峰城と改めた。
その後、石原小次郎忠直に再び攻められ高盛は戦死、その子元恒は古志氏をたよって新庄に落ちのび小早川隆景をたより、再度、木梨へ帰り石原氏を滅ぼし鷲尾山城を回復した。
1584年(天正12)元恒は千光寺山に権現山城を築いてここに移った。
1337年(建武4)築城以来実に247年木梨杉原氏の本城として備南地方を鎮めた鷲尾山城も1591年(天正19)秀吉の山城停止令によって廃城となった。
現在も、山上から尾根線に沿って、郭、井戸、空濠など多くの遺構をのこし、規模、内容とも県内を代表する山城跡である。
※現地説明看板より

尾道市北部へ向かいますと特徴的な山が姿を見せます
広島県指定史跡、鷲尾山城です
今回は備後の歴史を歩くの方々と共に攻略に向かいました